マイルス・ハント(ワンダー・スタッフ)インタビュー@Japan Times

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イギリスのポップシーンを知っていればだれしも、音楽週刊誌が若いアーティストの成功にどれほど重要かは承知の上だ。インターネットのせいで音楽雑誌の影響は弱まっているとは言え、未だバンドの成功と失敗に影響を与え続けている。マイルス・ハントは知っていただろう。彼と彼のグループ、ワンダー・スタッフが、80年代後半、三大週刊誌のお気に入りだったことを。


「あの当時、NME、Melody Maker、Soundsがあった」と彼はイギリスの彼の家の近くにあるスタジオから電話で答えた。
「僕たちは3誌全てからとても人気があった。3誌それぞれ特徴が違うから、3誌全部から気に入られるというのはめずらしいことだったんだ。メロディーメーカーはゴス・バンド、サウンズはロック、NMEは政治的なことを好んで扱っていたね。」


ハントはこのように注意を集められた理由を考えたことはないと断言する。「どうしてかは知らないよ、本当に」と彼は言う。「あのころ、プレスに評判がよかったからね。インタビューで僕と座ると、僕が全開でしゃべることをみんな分かってたんだ。僕はどんなことにだって意見を持ってた。それに、僕らのファーストアルバムには、70年代後半のバズコックスやラモーンズのような刺激があった。だから、僕らを気に入ってくれてもOKだし、どんなに冷たく評価されても気にならなかったんだと思う。基本となるもの全てをカバーできていた。そして、自画自賛させてもらうと、僕たちはいつだってすごい存在だったからね。」


自画自賛する態度はワンダー・スタッフらしさでもあった。グループはウィットに富んでいて、歯に衣を着せぬ物言いで、あからさまに生意気だった。曲は短くうるさく速く、彼らは自身をパンクとしていたが、バンドサウンドはより広い層へとアピールできた。88年、彼らはデビューアルバム、グルーヴマシーンをリリースし、94年、商業的なピークに達すると、さっさと解散してしまう。バンドのシングルはイギリスのトップトゥエンティーの常連となり、60年代のロックムーブメントを彷彿とさせた。バズコックスが明らかなモデルになっているという人もいれば、キンクスビートルズとまでいう人もいる。


ハントが指摘するように、彼らのコンサートは伝説的だが、それは音楽のせいだけではない。「本当に怒っていたわけじゃないんだ」と彼は辛辣な批評について答える。「観衆に毒舌を吐く僕の全てが、ちょっとしたゲームになってしまったんだ。ステージから降りると、なれなれしい罵倒の一斉攻撃を食らったものさ。そうやって僕を罵ることが、ステージに出てきて「みんな愛してるぜ」って叫ぶビッグなロックスターに対する対抗手段なわけさ。


このような態度は、曲の見た目の厚かましさにもマッチしている。メロディーはスウィートでリズムはダンサブルかもしれない、だが、ハントはターゲットを真っ向から全力で狙いうつ。それは、うんざりするような恋人であろうと、リック・アストリーのダンスポップのつまらなさであろうと。3枚目のアルバムは「ネヴァー・ラヴド・エルビス」と名付けられた。


目が回りそうに忙しい時期だったわけだが、ハントはその時期を恋しいと思うことはないと言う。来週The Wonder Stuffは18年ぶりに来日するが、前回の来日は、バンドが最悪の状態だったと認める。
「あの頃の僕らはいつもいがみあってた。イギリスに戻ると、ヘッドライナーのギグが5つもあって、それは今までやったことのないような大きさで、互いの顔を見るのもいやになった。ホテルで大きい喧嘩もした。恥ずかしいことだよ、ベストな状態じゃなかったことが。ギグは完売して、観客もすばらしかった。もっといい状態で見せてあげたかった」


グループはその数年後に解散した。ハントの刺々しいしゃべりが、MTVヨーロッパの120ミニッツの司会という座に結びついたが、そのことがしばらくはテレビは懲り懲りだと思わせることになったようだ。「5年くらい前、家にいてそのことを頭の中から追いやったんだ。」と彼は言う。「もしテレビに向かって叫ぶのをやめれば、もう少し長く生きれるかもと思って。」


彼に音楽に戻ってくるよう説得したのは、ポール・ウェラーだった。「96年のことだたかな」と彼は振り返る。「その頃髪を剃ったばかりで、バーにいるとき彼は言ったんだ、『ところで、マイルス、そろそろ髪をまた伸ばしたらどうだ、f*cking な曲を書いて、またバンドを始めたら』って。そして僕は言い返したんだ『そりゃご親切にありがとう、ポール。僕を膝まづかせて頭をたたきやすくしたいってわけかい?』って。」


それでも、その出来事はヒントを与えることとなった。「ワンダー・スタッフが解散した時、もうバンドをやりたくないって自分では思ったんだ。だけど本当はあのバンドにいたくないだけだったんだ。」彼は違うバンドVENT414というバンドを結成し、ワンダー・スタッフのメンバーとも連絡を取り続けた。そして2000年にワンダー・スタッフは再結成した。


「お互いうまくやれるって思ったんだ」と彼は言う。「3年間続けてみたけど、またうまくいかなくなってしまった。だからうまくやれないメンバーとは縁を切って、メンバーを入れ替えた。そして今、ワンダー・スタッフは今までになく最高に楽しい場所になったってわけさ。」


近年ハントはパートナーのヴァイオリニスト、エリカ・ノッコルスとのソロアコースティック作品と、新生ワンダー・スタッフとで活動している。新生ワンダー・スタッフは今まで2枚のオリジナルアルバムと、デビューアルバムの新録となるアルバムをリリースしている。


「昨年、グルーヴ・マシン20周年を記念してをツアーをやったんだ。」と彼は説明する。「そしたらベースがレコーディングしてみたらどうかと提案してきたんだ。彼はオリジナルのベースプレイヤーじゃないから、グルーヴ・マシンの曲を全部覚えるには、レコーディングするのが覚えるのに手っ取り早いって。だから実際やってみて、できがよければ1000枚作ってツアーで売ろうかということになったんだ。」


どういうわけか、日本のレーベル、ヴィニール・ジャンキーがアルバムについて知り、マイルスのMyspaceを通してマイルスにコンタクトをしてきた。「彼らは日本でリリースすることに興味はあるかと聞いてきたんだ。それは、世界で唯一日本でだけレコード屋でアルバムが買えるってことだった。」


ハントは12年以上メジャーレーベルと関わっていなかったが、それは彼には全く平気なことだった。「今がいちばんミュージシャンにはいい時代だと思う」と彼は言う。「僕は人生でこんなにたくさんギグをしたことはなかった。去年一昨年、僕とエリカはツアーを続けた。その儲けでまともな生活が成り立っている。ギグでCDを売って、毎晩販売用の箱が空っぽになる。うれしいよね、レコードを買ってくれた人に直接会えるから。」


ロンドンの外に出られることも彼はうれしく思っている。5年前彼は郊外に引っ越したが、そこにはより健全なミュージックシーンがあるという。「これくらいの小さいパブが名もない丘の真ん中に建ってるんだ。木や小川に囲まれていて。60人くらいしか入らない。ステージもない。でもすごくいい雰囲気が流れていて、そこで演奏する人ってのは、音楽に対してまじめで情熱的なんだ。そんな人に囲まれると心地いいんだ、ロンドンでエモな格好で着飾って、テレビで見たばっかりのものをなんでもコピーしているようなやつらといるよりもね。そういうの大嫌いでね。」